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●●「季刊午前」48号(二)

 投稿者:東谷貞夫  投稿日:2013年 3月27日(水)20時23分30秒 e0109-49-132-54-28.uqwimax.jp
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   西田宣子「いつもの賀茂駅で」

 出歩くとき、私はいつも地下鉄の加茂駅を利用します。エスカレーターに乗りますが、階段では三十三段が三つあり、九十九折であって、階段を使うと、どこに行こうかわからなくなりそうで、私の性分に合っているのかもしれません。地下鉄に乗ると、いつもまどろんでしまい、その仮初の眠りから私の物語がはじまります。
 この書き手は多彩な技を次から次へと編み出し、読み手を惹きつけています。私の生まれた渋川村の思い出が六十二歳の今でも人生の基調になっています。ムツ婆さんは村に捨てられたものの住職に育てられ、結婚しましたが、夫と子供に死に別れ、お寺の裏方として働き、村人に慕われていましたが、私は死の直前に会っていて、寂しそうな顔が忘れられません。ムツ婆さんは近くの山にお花畑を作っており、そこに分骨して欲しいとの意向です。村と自分の出自とのけじめなのでしょうか。
 夫は六年前に交通事故で亡くなっていますが、その何年か前に友人がなくなり、夫がその友人の奥さんと子供の三人連れのところを見ていて、夫の嬉しそうな表情は家ではありえず、夫と未亡人の仲を疑り、私に子供がいないことの引け目もあるのかもしれません。
 地下鉄のまどろみの中に父や母また弟そして渋川村に関係する人々が現れ、それは私が生きているということの証です。この書き手は村のそれぞれの人物を歯切れよくデッサンしていて、渋川村の温かな雰囲気を伝えています。ムツ婆さんの例を挙げても、ひとつの作品になりえますが、すべての人間模様をバランスよくまとめていて、深入りする直前で止めており、その筆運びは見事です。渋川村の人間絵巻になっています。





 
 
 

●●「季刊午前」48号(福岡県)

 投稿者:東谷貞夫  投稿日:2013年 3月27日(水)14時25分34秒 e0109-49-132-54-28.uqwimax.jp
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   中川由記子「飛ぶ顔」(約25枚)

 この書き手は技巧を凝らしていないような振りをしながらも、相当な計算のもとで、さわやかに読み手を楽しませてくれています。
 視界に黒点が出て、老化現象のひとつの飛蚊症と診断されます。亮子にはやがて右目の端の黒点が人の顔に見えはじめます。飛顔症です。誰の顔かがわからず、もどかしく感じます。退職した夫は山登りをはじめ、家庭のことには関心はありません。亮子もすでに父や母を亡くしていますが、毎日の生活は穏やかに過ぎていて、貯えがが少ないのが気がかりです。右目の端に現れる顔は父や母などの冥土に旅立った人ではありません。
 そんなとき、しばらく遠ざかっていた美容室から電話があり、予約します。古いスタッフはいなくなり、二名の新人が入ったということです。ゴウタという新しいスタッフが笑顔を向けると、その顔は右目の端の顔のひとつだっだとわかります。ゴウタはこの世の人であり、右目の端の見知らぬ人は亡くなった人ではなくこれから出会う人かもしれない――亮子はわだかまりが解け、気分が晴れます。イエローのヘヤカラーを勧められると、気分よく頷きます。
 気になっていた人の顔がこれからの人生で出会う人であり、その転換への描き方は巧みであって、洒落てもいて、読み手も納得するでしょう。
 

●●「周炎」51号(福岡県)

 投稿者:東谷貞夫  投稿日:2013年 3月26日(火)14時45分36秒 e0109-49-132-54-28.uqwimax.jp
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   「岩下俊作文学碑」建立25周年記念号です。
 山下敏克「文学碑建立秘話」
  文学碑の建設のための苦労話が語られています。費用や場所など、さまざまな難しい問題を乗り越え、芸能界発起人代表は三船敏郎であり、田村高廣や三国連太郎などの名前もあって、「無法松の一生」を映画や舞台で演じた俳優が協力しています。やはり地元の八幡製鉄あるいは市議会議員そして文学仲間の貢献が大きかったようです。

 川村道行「孤独なコピーライターの肖像」
 ワンルームに住む三十歳代のコピーライターを描いています。文体に工夫の跡がうかがえ、僕とか私とかの主語がなく、また日常を描きながらもその文章の響きから日常とは異質な時空が表れていて、ファミリーレストランでの食事またワンルームで淹れるコーヒーなども、どうも非日常性の雰囲気が漂っています。コピーライター自身のリアリティーが霧に蔽われているような不思議な印象です。文体の妙味なのでしょうか。
 以前に勤めていた広告会社の同僚から仕事に依頼が舞い込みます。ヒマラヤのブータンのお茶を飲料会社が売り出すためのコピーの作成です。依頼した金子は打ち合わせ中にウオッカトニックを何杯も飲み、お茶というのは黒い塊を削ったようなもので、一般のイメージとは異なっています。ブータンの村人はそのお茶で明るく朗らかになっていて、特別な効き目がありそうです。ブータンやヒマラヤの写真を部屋に飾り、資料に目を通し、そういう情報を頭の釜に入れ、うまく発酵するのを待ちます。釜からゴボッゴボッという音が漏れてきて、順調に成熟しています。金子に渡すと、予想以上の金額になりますが、やはり金子はウオッカトニックを何回も注文していて、どこか違和感がにじみ出ています。
 何日かして刑事が訪れ、ワタナベ・ヨシオを探しているのだが、あなたと一緒のところを新宿のホテルで見たという情報があって、と問い詰められるものの、わけがわかりません。さらにダンナを探しているという赤い口紅女が現れ、カトウ・キヨシの行方を尋ねられますが、まったく身に覚えのないことで、答えようがありません。金子の会社に連絡すると、三年前に辞めていて、お茶のコピーも実際にあったことなのか、いささか迷ってしまいます。現実ではなく、夢遊の世界をさまよっている感じで、あるいは自分が誰であるかもわからなくなっているようです。妹に携帯をかけ、自分の名前を確かめ、そこでこの小説は終わります。
 書き手の意匠は成功しているでしょう。前作の「想像力の行く手は阻めない」よりも洗練されています。

  
 

●●映画「黄色い風土」(松本清張)

 投稿者:東谷貞夫  投稿日:2013年 3月25日(月)16時27分6秒 e0109-49-132-54-28.uqwimax.jp
返信・引用 編集済
   原作・松本清張
 監督・石井輝男
 制作・東映
 出演・鶴田浩二、丹波哲郎、佐久間良子、柳永次郎、など

 週刊誌の記者の若宮(鶴田浩二)は熱海で評論家の島内の取材に出かけますが、新婚さんの多い列車に乗り合わせ、カトレアの香水の美しい女性(佐久間良子)の隣の座席の座ります。発車直前、新婚旅行客があわてて乗り込み、見送りの友人や親戚はなく、妙な印象です。翌朝、自殺の名所の錦ヶ浦に身投げした死体が見つかり、東京駅で急いで飛び乗った新婚さんの男の方で、女は姿を消しています。若宮は奇妙な事件の臭いを感じとり、編集長の木谷(丹波哲郎)に報告し、真鶴通信員の村田とともに取材に専念します。
 その頃、全国各地で偽五千円札が大量に使用されていて、その事件の方が大きく取り上げられています。旅館のフロント係の春田が名古屋の西山旅館で殺され、現場を見た若宮はカトレアの花を見つけ、違和感を抱きます。その後、真鶴で印刷屋が焼け、印刷屋の主人の奥田は木曽川で水死体で発見され、若宮は偽札事件との関連を推察し、謎が謎を呼んでいるようです。若宮は旧軍隊の人事や組織に詳しい岩淵を探しますが、岩淵は急に金回りがよくなり、行方がつかめません。さらに島内は講演中に倒れます。青酸毒物のカプセルを飲まされたようです。講演会場でもカトレアの女を見かけます。西山旅館に出かけると、閉鎖されており、後で偽札仲間の連絡場所とわかります。島内の葬式にカトレアの女が現れ、夕方に横浜で会うことになり、アジサイという言葉を残し逃げ去ります。花でも酒場の名前でもありません。若宮はバー・カトレアで編集長と論議しているとき、アジサイはA231ではないかと推測します。A231部隊は偽札作りの専門部隊であり、全員戦死と処理されています。しかし、その連中が偽札を造り、仲間割れで事件が起こったのです。錦ヶ浦で死んだ男は岩淵であり、偽札捜査のために警察のスパイになっています。
 西山旅館の夫婦が箱根に来ているという情報を村田が若宮に知らせ、二人を追いますが、村田は若宮をアジトに誘い込み、そして自衛隊の富士演習場に連れ出し、大砲の砲撃の餌食にする予定です。若宮は縛られて手を解き、そのとき演習の実弾が飛んできて、村田は命を落とします。そこにカトレアの女が走ってきます。彼女も砲弾の衝撃を受けます。カトレアの女は偽札作りの首領の村田の妹だったのです。
 村田は偽ドル札を造り、成功していましたが、偽五千円札に手を出す仲間が現れ、評論家の島内は軍隊仲間ではないものの、欲に駆られて偽造団に入ったわけで、各地の講演先で偽札を使っていたのです。偽五千円札に手を染めたがゆえに警察の捜査が厳しくなり、内輪揉めがはじまり、邪魔者を消してゆくしかなかったようです。
 鶴田浩二はふくよかな顔立ちで、鋭さに欠け、それが逆に相手を油断させて情報を入手していた気配です。丹波哲郎は引き締まった表情で鋭い眼光を飛ばしていて、海千山千の週刊誌の記者をまとめるには適材だったでしょう。
 次から次へと人が殺され、謎がいっそう深くなり、見ている方は筋道がわからず、緊張の連続であり、サスペンスとしてはうまくできています。
 

●●「九州文学」21号・通巻544号(福岡県)

 投稿者:東谷貞夫  投稿日:2013年 3月23日(土)20時52分23秒 e0109-49-132-67-227.uqwimax.jp
返信・引用 編集済
   おおくぼ系「深山霧島を見ずや」(約120枚)

 この書き手の自在な発想と魅力的な構想力が融合しています。散漫な箇所も見られますが、それ以上に朝鮮焼という茶碗に隠された謎のマグマが世俗を超えた威力を発揮し、それはマスコミも表沙汰にできぬ秘密になっています。
 秀吉の朝鮮出兵があり、そのとき連行された朝鮮の陶工達は九州西南の砂浜に着き、山を越えて秘境の地に集落を創ります。伊万里の陶工達とは別の流れです。朝鮮焼はサツマ藩の財政を潤します。
 教育委員会の濱元は四十歳手前であり、ようやく朝鮮焼のよさがわかりはじめ、ときたま山奥の窯元を訪れます。十二代の超翁は白髪で髭を垂れて野武士の風格があり、濱元はその磊落な性格に惹きつけられています。世間話の合間に、歴代の総理のほとんどと会い、昨年は某大臣が来ていた、ということを差し挟みますが、濵元はどういう意味なのかまったくわかりません。
 中嶋久志は不動産会社の課長で、バブルの去った今、取引実績を伸ばせず、さらに簿外の借入金を運用していて、それが半減しています。外山権兵衛というブローカーが現れ、久志は外山の思惑に引っ掛かり、ニッチモサッチもいかなくなります。上司から悪い噂が流れていると注意されます。契約は破棄できず、外山は県のスポーツアリーナの計画を手伝うように強要し、久志はますます苦境に沈み、酒に溺れ、もはやすべてから見放されたようです。
 濱元は久志の馴染みのラウンジのお客であり、また久志の姉の同窓でもあって、その縁で久志の相談に乗ります。亡くなった父親の木之助は桐箱の朝鮮焼の茶碗を大事にしており、底にミヤマキリシマのツツジの絵柄が浮かんでいて、深山霧島を見ずやと語っていたことを濵元に知らせ、濱元はそのことに興味を抱き、窯元の超翁に久志の苦境を打ち明けます。中嶋木之助は我々の同胞であり、日本人として生きるために集落を捨てたのであるが、深山霧島を見ずやという言葉は同胞の助けを求める符牒である――超翁の説明に濱元は驚きます。超翁の進言の通り、外山に朝鮮焼の茶碗を渡すと、外山は顔色を変えて怒声を浴びせますが、その数日後、濱元の許に電話が入り、久志の件は穏便な手打ちで収まります。外山は朝鮮焼のことを調べ、闇のマグマの存在に恐れをなしたのでしょう。
 ひたすら土をこね、焼いている、という超翁の一見すれば単純な姿勢には凄まじい美意識がこめられていて、しかも地下水脈で祖国の政治また経済の動向も把握しており――濱元は窯元のある三山一帯の謎めいた秘密にかすかに触れたのでしょうか。異色の書き手です。
 
 

●●「千尋」創刊号(富山県)

 投稿者:東谷貞夫  投稿日:2013年 3月22日(金)20時25分55秒 e0109-49-132-75-204.uqwimax.jp
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   大塚諄子「文という女」

 朧夜、文は庭の鉢植えの「腰の雪」と「小町白」の牡丹の花に鋏を入れ、その白牡丹を竹籠と備前の一輪差しに活けて座敷に上がると、床の間に二つの骨壺が安置され、二人の遺影が飾ってあります。
 なかなか趣きのある書き出しです。松の内に文の姑がなくなり、その翌月の夫の太郎が旅立ちます。姑は茶道の師匠として多くの弟子があり、病弱な体質の太郎は母親の弔い客や後始末の対応に疲れ切っていたのでしょう。
 文は妊娠中に恋人が突然の不幸に襲われ、男の子が生まれますが、母親が養子に出します。太郎の先妻は子供ができず、養子をもらい、大事に育てていましたが、大が三歳の時に病死します。そこで大の生みの親の文が後添えになったのです。複雑な事情が絡まっていますが、大にとって生みのの親がいいという判断でしょう。大は思春期になると、本当の父親にこだわるものの、文や姑などの愛情を感じ、精神的な危機を逃れます。大学に行かず、高校を出てアメリカで好きな音楽に挑戦します。
 テーマは興味をそそりますが、まだ十分に熟成していないようです。文のOL時代のことはもう少し簡略してもよかったでしょう。太郎がいささか影が薄く描かれていますが、病弱な太郎の内面を抉ってもひとつの物語が編み出せそうです。

 金谷恵美「渡された封筒」
 医師の靖博の許に一人の青年が訪れます。学生時代の下宿先の娘の息子です。靖博はその娘と恋に落ちますが、彼女は旅館を営む親戚の養女になり、女将さんになる定めを背負っています。彼女の母親が若い二人の気持ちに楔を打ち込んだようです。下宿の庭の瓢箪池と枝垂桜は苦い思い出になっています。青年の母親は昨年に旅立っていて、彼から彼女の手紙を受け取ります。
 靖博は重苦しい気持ちい囚われ、後悔と自責の淵に沈みます。文意の通じる文章ですが、表裏に余韻にちょっと難があるようで、柔軟な雰囲気を作り上げる技法を身に着ける途中
なのでしょうか。

 あぶらたにともこ「タカラズカな日々」
 さわやかな風が吹き抜けていて、このようなテーマも面白いと思います。しかも理にかなった文章は値打ちものです。
 

●●「凱」第三次・35号(東京都)

 投稿者:東谷貞夫  投稿日:2013年 3月19日(火)18時36分40秒 e0109-49-132-50-105.uqwimax.jp
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   長谷良子「その年の秋」

 田口武夫は銀座にある設計会社の橋梁設計の優秀な技術者であり、同僚の安子と結婚し、事務所を立ち上げます。最初は仕事に恵まれていましたが、景気の低迷とともにやがて受注が減ります。安子は図面のトレースを手伝い、経理もしています。三年目に武夫は昼飯に出かけ、そのまま安子や友人の前から姿を消し、金融業者からの返済の督促電話が入り、武夫からは縁を切ってほしいという手紙とともに離婚届が送られてきます。詳細な事情はわからないままに会社を清算します。父親の許に帰り、新しい職場を探し、そこで隆之と出会って再婚します。
 正月の新聞に武夫が実家の軒下で凍死したという記事を見つけ、二十年振りの消息です。父親が亡くなっていることを知らず、鍵がかかっているので軒下で夜を過ごしたようです。どこで何をしていたのか、五十六歳の生涯でした。
 武夫が行方不明になったとき、武夫の大学の同窓の李燦にも問合せしていますが、その李燦も行方知れずになっています。武夫とは無関係ですが、二人の消息不明は気になります。
 田口家のお墓にお参りすると、武夫の名前が墓石に新しく刻まれています。
 武夫の行方不明と李燦の家出が並行して描かれていて、この書き手はそこに筋書きの幅と奥行きを狙っていたのかもしれません。構成をちょっと練り直せばいっそう興味深い物語になりそうです。

 
 

●●「銚子文学」37号(千葉県)

 投稿者:東谷貞夫  投稿日:2013年 3月18日(月)13時40分52秒 e0109-49-132-50-105.uqwimax.jp
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   市田祥子「住職のいない夜」

 麓の村には電灯が点いていますが、山の中の福聚寺はまだランプの頃、番犬のシェパードのアサが激しく吠え立てます。住職は本山に出張中であり、本堂と住居を兼ねていて、妻のたけおよび五人の娘は番犬の吠え方に異常を感じとります。男が雨戸を叩き、一夜の宿を求めています。男の服装は汚れており、まず風呂に入ってもらうことにし、その間に男の持ち物を点検します。二人の娘を麓の村にやり、従兄弟を呼び寄せ、不吉な予感がしたのでしょう。
 大騒動になったものの、旅人は素直な人柄で、翌朝、お礼として参道の掃除をし、山門を後にします。シェパードのアサはもはや吠え立てません。
 素材は面白いのですが、もうひと捻りが欲しいところです。ちょっと手直しをすればもっと好奇心を惹きつけるでしょう。

 菅宮慶江「女の旅路」
 昭和十九年の春、紀子と春子は故郷の銚子で教職に就き、二人の憧れであったかをるは春子と同じ国民学校の教壇に立っています。八紘一宇、忠君愛国が叫ばれていて、女教師は竹槍訓練を課され、藁人形に竹槍で突っ込みます。昭和二十年の三月、中心部が爆撃され、市役所や保健所などが被害に遭い、七月の大空襲で市内の大半が焼失します。
 かをるは同僚の教と師不倫に走り、結局、捨てられ、親の選んだ相手に嫁ぎますが、姑のいびり方の凄まじさが噂になります。春子は恋愛の末に結婚するものの、やがて離婚します。紀子は険しい紆余曲折から逃れ、穏やかに過ごしているようです。母は肺炎で入院し、その後、痴呆の症状が出て家族を困惑させ、やがて亡くなります。かをるの嫁ぎ先は水産会社であり、経済的に恵まれていますが、年老いて痴呆になり、紀子と春子が見舞いに行ってもわからない状態です。
 かをると紀子そして春子の人生を主にたどっていて、戦争中の重苦しい世相や敗戦後の生き方また老後の覚悟など、いわば女の一生とでもいうべき内容です。目新しい題材ではありませんが、誠実に人生の軌跡を描いていて、時代に翻弄される女の厳しさがうかがえます。
 

●●「湧水」54号(二)

 投稿者:東谷貞夫  投稿日:2013年 3月17日(日)19時32分14秒 e0109-49-132-54-225.uqwimax.jp
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   亜木康子「四月一日、花曇り」

 気さくな人柄の二村の誘いを断りきれず、私は駅前で待ち合わせ、第一公園の桜を見ることになります。古希を過ぎた男と、六十歳前の女。10年ほど前にどこかで顔をわせていますが、仕事がらみの付き合いは20年ほど前になります。私は広告会社に勤め、二村は業界紙の記者であり、同じビルだったのでコピーやファックスなどでお世話になっていたのです。私は文子ですが、ブン子と呼んでいて、浮気の相手から除外されていたようです。とはいえ、酔っぱらって怪しいことになりかけたことがあります。
 二村は10年振りの横浜です。第一公園に行く前に、まず馴染みの店に足を向けます。トンカツ屋に喫茶店また風呂屋などはなくなり、時代の変遷がうかがえます。おでんを買って公園に入ると、通路や樹の下そして広場などは花見客にあふれ、座る場所が見つからず、池の方に移動します。池向こうの公園の桜が素晴らしい風景になっています。穴場です。二村持参のにごり酒を楽しみます。
 私の会社の課長が妻子を捨てて若い女と再婚し、業界紙に若い夫婦がいて、妻が同窓会で出会った同窓生に惚れ、夫とは別れ――異なった色彩の人生模様が想い出されれます。偶然の出会いあるいは魔が差すという言い方がありますが、常識の流れからはずれたところに、意外な道が隠されていて、もしかすれば魔が差した方向をまともな選択と錯覚しているのかもしれません。
 二村は酔って眠っていますが、かっての二村ではありえぬ状況です。街の景色が変化するのは時代の流れであり、酒が弱くなるのも人生の流れであって、桜も永遠に咲き誇るわけではないでしょう。
 前作の「あまんじゃく」は無理に作り上げたという印象で、今回の作品の方が手慣れたいい文章になっています。もともと文才に恵まれているので、何かを狙うのではなく、素直に内面の声に耳を傾けると、素晴らしい作品になりそうです。
 

最近読んだ同人誌作品より

 投稿者:和田伸一郎  投稿日:2013年 3月17日(日)12時04分32秒 165.61.52.36.ap.yournet.ne.jp
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  『ふくやま文学25号』から2作品を読む

「穴を掘る」      河内きみ子
 かつては漁師だったが、製鉄所の進出で海が埋め立てられ、補償金を元手に農を営む老夫婦の回想物語である。農や漁の回想には、常に自然が挿入されている。それは景観としてではなく、身体の延長としてごく身近なものとして語られる。この作品はそうした自然を人物のように重きを置いて登場させているのが特徴だ。
 作物が失敗作でも、自然を相手に暮らす無意識の教養が老夫婦の生活処方ともなっている。書物から得られる教養にはないのびやかな視点が、忙しくあくせく暮らす現代人が忘れていたものを思い出させてくれる。
 地方語の会話とともに、過去と確実につながっている時間の流れは、遠く太古までもほうふつさせるものがある。私にとって、興味深い作品となった。

「蟻」      中山茅集子
 台所で料理を作りながら蟻をひねりつぶしたことを「ほんの少し後悔した。」ことから物語は始まる。主人公直子の自意識が、マンションの周囲の情況となじむことができない。その自意識が景観を切り取り、解釈を加えながら物語は進む。同じマンションに住む一人暮らしの男との出会いも、自意識を根底から揺るがす事態には運ばない。
 散歩の途中、バラの前でたたずんでいる男のひと言「おまえ、えばりくさっても、ハマナスの棘には勝てねえべえさ」が気になった。その男に話しかけ、男の育った北海道の荒海に思いをはせる。その荒海がはぐくんだ無意識が、直子の自意識を溶解していく。そうした過程が作品に見事に反映され、自意識をもてあましている現代人の心の隙間に分け入っていくのを感じることができる。


『クレーン34号』より2作品

「銭」   もろひろし
 はじめに夢が登場する。この夢に出てくる男を主人公文雄は、斜め上方の視点から追う。文雄の分身であるはずの男なのだが、そこにはある距離間があり、男に対しての感想が挟まれる。しかし、この主人公「文雄」と作者の間にはほとんど距離間が感じられない。
 したがって読者は、文雄が夢の男を見ているような位置から文雄を見ることになる。文雄は電子部品の町工場の経営者で、社員ひとりひとりの家庭の事情をよく知る立場にあり、会社とは運命共同体の大家族みたいなものだと考えている。
 文雄は仕事が激減した新しい現実にうまく対応することができず、その現実を認めるよりそれをもたらした親会社を恨み、裏切られたと感じる。これは、下請け制度というある程度自律的な内閉的空間を作り出してきた日本の企業社会が、アメリカからやってきたグローバル化という大波に移行しようとしていたことによる。
 この変化は文雄にとって、許容できないことだった。下請け制度自体が親子関係を象徴するような構造と秩序を要請され、「親」に逆らうことは御法度だった。文雄にとっては、いきなり親に荒野に連れ出され、あとは一人でやっていきなさいという、アメリカ型親子関係を押し付けられたようなものだ。文雄は、荒野に出て孤独とたたかいながら決断していくビジネス界の経営者のようにはわりきれず、きわめて日本的情緒に流されてしまう家長的存在として描かれている。
 妻のたか子は、社内においてもパートナーだが、文雄にとっては「母」に哀訴する子どもとそれを拒む「母」というかくされた関係が存在することが読みとれる。文雄には、「母」の胸に顔を埋めて乳房をもてあそんでいたい衝動が見え隠れしている。その「母」は、実は親企業でもあるのだ。下請け制度という擬似親子関係を機軸とした日本的な企業社会崩壊のドラマは、親が生き延びるために子どもを騙して家から追出してしまうという、グリム童話の寒々とした世界を連想させる。

「ゲリラ服の男」  中山茅集子
 この作品を読みながら常に気になったのは、画家の夫のことだ。「ある日、出先から戻った女が待っていたのは、白と黒に塗りわけ異国の仮面に成りすました夫の顔だった。」それはどういうことかというと、「五十歳を目前にした夫が、この世に氾濫するあらゆる色をアトリエから放逐し、極限の黒と白を」「これがおれの色だ」と言ったときからだという。
 「女」は妻という役割を演じながらも、夫の画業の再生を願う。それは「かつてあれほど激しく求めた未知の世界へ心を開くためなら、娼婦になったっていい。」とまで決意させるものだ。夫がかつての「男」に戻ってくれることを切望する。とつじょ現れた「ゲリラ服の男」は、妻が女に変容する舞台装置のような位置づけだ。
 夫からの心情はいっさい描かれていない。だから、読者はいつも「女」の肩越しに夫を見ている。「女」のいうように精神が病んでいるのか、それともある境地にたどり着いたためか。そもそも優れた芸術家は、その内に狂気を孕んでいるのではないのか。私は、この作品を読んだ後、この作品のモデルである画家の画集にあらためて見入った。

 

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