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“春三月” 間島康子/『駅』98号

 投稿者:荻野央  投稿日:2014年 4月25日(金)18時25分16秒 h219-110-144-084.catv02.itscom.jp
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  涙とか、月、花を並べれば歌の詞はいくらでも可能だという嫌味な意見がある。事実そうなのかもしれないが、では、涙を詩にしたり、花を讃美したり、月の狂気を呪うのは簡単そうで、実行して詩作してみると意外に難しいのだ。『せんせい、あのね』に綴られる子供たちの無垢なる詩精神が、わたし(荻野)の詩精神なるものが手垢にまみれていることを知らせるときである。しかし手垢にまみれているから、と内的に謗ってみても純粋な心の在り様は結局ごまかすことはできないのだ。たぶん引き下がってはいけないのだと思う。

子供の結婚は親にとって最大の幸福の一つである。
幸せの絶頂は本人(たち)の専有物とは限らない。親は彼らより当事者意識が強いので、いたたまれないくらい専有する欲望が強いのである。親には子供の幸福の断片を貰う必然性があるというものだ。

“あたたかい場所へ行く/という感じが/どうしたってしてくる
雲の上を飛んでいる/窓外のその雲も/空も/ゆるむような色を/伝えてくる

その先に/娘の婚礼がある/小鳥のようにさえずる娘の心を/喜色満面で聴いている青年が現れ/その日が/すぐそこにきている
そうか/君は/南の島で/花嫁になる”

ここに在るのは限りなく注がれる愛と或る予感である。予感とは、娘の幸福の詩を語っている人になだれ込ませるであろう彼らの幸福の断片のことだ。それはストレートに喜ばしい予感であって、聞きなれてうんざりする不幸とか悲しみの哀歌と同等の価値を膨らませるものである。
ふと見ると、この世は濁っているばかりに見えて、溜息だけしか溢れない街に生きるのは苦しい場合が多々ある。だから幸福はまんべんなく降りかかる太陽の光のようにあれかし、と希望する者たちへ詩は何を為しうるのかと思う。

“生命の息吹/溢れる場所で/澄んだ色の/空と/海と/風と/やさしくゆれるものに包まれて”

「ゆるむ」とは弛緩、「ゆれる」とは揺籃。いずれも子供への愛の断面を歌うもので、とうに崩れているのかもしれない(忘れられたような)詩の持つ機能・・・無際限の讃歌を、初めて見たような錯覚におちいる。

作者は、いっけん穏和に見えかねない詩の雰囲気に、独特の美意識と鋭い言語感覚を盛りこむ詩人だが、今回は別の一面を見たような気がした。
 
 
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